組織の特色
終戦直後の混乱した世相の中で昭和24年に全国でもいち早く協会を設立した。
創設期の状況は、クラブチームの登録が若干あったものの大半は高校女子となっており、
活動も限られ組織などは明確になっていなかった。
発展期には、協会規約を制定(昭和44年)し、組織体制の整備を図るとともに、普及活動により
登録チームの増加が図られたが、高校教員中心の体質であり、広範な人材確保が求められた。
充実期のべにばな国体の開催決定以降は、人材を広く登用し、競技力向上対策、競技運営、
競技役員の養成、財源対策などに取り組み、国体開催県として競技別総合優勝を飾ることができ、
そのときの財産が組織の充実につながった。ただ、財源対策が十分に機能しなかったため、
財政的に後遺症を残すこととなった。
組織の構成は、市町村協会が所属する県内5地区(置賜・村山・最北・田川飽海)を支部とし、
中体連及び高体連が加わり組織している。